老師の大きく固い指が、私の肌に潜っていく。ぐっ、ぐっと規則正しいリズムで、無理やりに押し込もうとする。油断をすると声が出そうになる。唇を噛み締めるように耐えるが、抗いがたい快楽が止めどなく溢れてくる。
うつ伏せにされたまま、老師が私の脚を開き、腰に手を添えられる。グッと硬いものを押し付けられ、少しだけ声が漏れ出してしまう。
私はきっと堕ちてしまう。涙が滲み、目の前が暗くなっていくように感じた。
――――――――――
始まりは職場のパートさんの雑談からだった。私は明け作業に手間取り、絶賛サビ残中。休憩の邪魔にならないように、隅っこで存在感を出さず、代わりに眠気を全面に出して、パソコンをカタカタと打っていた。
パートさんの噂話が始まる。
「◯◯さん、本気で嫌なんだけど」
「△△がさー」
大概が悪口陰口である。そういうものである。この職場では若い方に属する私(30前半)はパートさん達に可愛がられ、正規職員の立場でありながらもパートさん達による裏の噂話を聞けるのである。訂正する。可愛がられていない。舐められている。
話は急に変化する。これもお姉様の生態の一部で、(え、どこいった?)と疑問に思えば、あっという間に置いていかれる。川の流れに身を任せるように、そのままを受け入れていく。それが出来なければパート流井戸端会議に参加する資格はない。割と本気でトラブルになるから辞めた方がいい。
今の議題は『加齢に伴う身体の節々の痛み。そのケアについて』だ。お姉様達の平均年齢は還暦前後、無視をできないお年頃なのだろう。この議題はメインテーマになりつつある。
だが、この日は少し雰囲気が違った。唯一の20代女子職員への嫉妬が抑えられなかったのだろう。還暦迎えるワンダフルボディと20代の瑞々しさを、一緒のテーブルに並べ始めた。勝機はなく、正気の沙汰ではなかった。
無惨に敗れ去り、精一杯の怨嗟が込められた陰口と言う呪詛をばら撒いたあと、ターゲットが変わる。
「ねぇ。30くらいだったよね」
一人のパートさんの目が私を捉える。
「まだ30じゃ、体の事気にしなくても気楽でしょう」
「若いっていいわよねぇ」
「ねぇ」
獲物を見定めた目が順々に私に向かう。典型的な顔は笑っているが、目は笑っていない。ぞくりと背中に悪寒が走る。私は即座に笑顔の仮面を被り、彼女達に迎合する。
「そんなことないですよぉ。変則やってるとすぐボロボロになりますもん」
語尾を上げ、語尾に『もん』と付けることは、30代女性2児の母として恥を感じる。だが、これがお姉様たちにはウケる。今も警戒心が緩むのを感じている。このまま勝負を続ける。
「足もパンパンになっちゃってぇ。何か良いケア知ってます?」
チノパンの裾を上げ、ふくらはぎを見せつける。
「あらま、ちょっと太いわね」
「あらほんとね」
お前らより全然細いから、なんてことは思わず、ふくらはぎを強く摘むと、紫色がしばらく残る。それを見たお姉様様たちは、スッと立ち上がり、私の周りを囲む。ハゲタカに狙われたネズミの心境を知ると、ハゲタカが無遠慮に私の肩を掴む。
「あらやだ、岩だわ」
「体固いわ」
「これはやばいわ」
順々に韻を踏んでいく3匹のハゲタカヒップホップの連携に、私は軽く感動すら覚える。だが、実際に酷使を重ね続けた私の肩首は鉄のように固くなっている。
「これじゃあ素人には無理ね」
「ごめんねぇ」
「おっぱいが大きい訳でもないのにねぇ」
だははと下品極まりないハゲタカ共の大笑いに、被っていた仮面にヒビが入る。そもそも頼んでもいないのだから謝れる筋合いもない。とは言わないで、やはり“あはは”と誤魔化す。明けでこの状況。私は上手くやっていると励まし続ける。
「マッサージと言えばさ、ほらあそこの」
「あそこね。あそこ腕だけは良いからねぇ」
「ねぇ。あそこ行ってみなー」
あそこって何処だよ。と、毒付くことはせずに、ひび割れた笑顔の仮面を再び被る。
「え、行ってみたいです! 何処にあるんですかぁ?」
こうして私は、マッサージ屋さんに行くことになったのだ。
――――――――――
とは言え。夜勤明けでそのままいけない。シャワーを浴びて仮眠して……。どうしよう。もう行きたくない。でも感想を求められたり、店を見張っていたら……。不安を感じやすい私は、約束を破れない。
せっかくの休日の明け。愛する旦那と子どもはじっかに行っている一人時間。有意義に使いたかった(オンラインゲーム)。泣く泣く出掛ける準備をする。
まぁ確かに身体中に痛みは感じていたし、ちょうど良い機会だったのかもしれない。車でミスチルを流しながらポジティブな思考に切り替える。同じ市内ともあって教えられた場所にすぐに着き、ポジティブは終了した。
全体が黒く塗られた外壁。黄色の看板に赤い文字。若い女性がマッサージを施す写真がデカデカと貼られていた。まず思ったことは、ここは如何わしいお店ではないだろうか。闇営業的な何かで、女性が男性を喜ばせるような、そんなお店だと思った。
車に乗ったまま、スマホで検索する。評価は……高い。そんな馬鹿なと思いながら、詳細を開く。そしてレビューには「腕は良い」「天才的な腕前」など、うちのハゲタカと一緒のことが書かれている。まさかハゲタカが書き込んでいるのか……?とも思えたが、ハゲタカはスマホが使えない。
不安を感じやすい私は、入りたくないという気持ちで染まっている。だって見るからに怪しいお店だもん。でも評価はめちゃくちゃ良い。なら、受けてみたい気持ちも芽生えてくる。そして私は欲に負けた。
車から降りて、勇気を出して店のドアを開ける。否、開けられなかった。予想以上に重いドア。しっかりと体重を掛けて、なんとか開けきる。
“ジャララッ”
最初に目に入った光景は、真四角のテーブルを囲む四人の人。テーブルの上で牌を転がし、丁寧に積んでいく。私には麻雀に見えた。つい、信じられないといった目で見てしまうと、一人の男と確かに目が合った。だけどなにも言われなかった。
一度店を出て、看板を見る。確かに「揉みほぐし」と書いてある。雀荘とは書いていないことを確認して、もう一度入る。先ほど目が合った男性が、くいっと目線を送る。その先には、ラーメン屋さんの食券機ような自販機が置いてあった。
自販機には、コースと料金が書かれていた。
“全身50分 2980円”
“全身70分 3480円 お勧め”
など、つらつらと書かれている。なぜ60分がないのか、疑問に思いながらもお勧めの70分を選ぶ。性別は売り切れになっていた。性別は売り切れるのか。
お金を入れてお釣りを取る。その時にふと目に入った。
“裏オプション 玉吸い 1980円”
やはりそういう店だった。恐怖に腰が抜けそうになる。だが、既に券は買ってしまった。もう後戻りは出来ない。
ニコニコとした愛想の良いお爺さんに券を渡す。見た目は中国系の漫画に出てきそうな服装をしている。それに160センチもない私よりも、更に小さい。かなり小柄な男性だった。だけど、券を渡した時の手は異常に大きかった。以降この男性を老師と呼ぶことにする。
「ツヨイ? ヨワイ?」
「……ヨワイ」
老師の陽気な片言の言葉に、つい釣られて片言で返答してしまう。今更ながら、この店が全体的に中国っぽい。国旗もデカデカと飾ってあるし。まだ麻雀やってるし。
「イチバンオク」
と、指さされた場所に行くと、施術台が置いてあり、ようやくマッサージ屋らしき要素が現れてホッとする。遅れて老師がやってくる。手にはお茶を持っている。
「オチャオチャ。ポカポカ。リラーックス」
そしてぐいっと飲む。老師が。いやいやお前が飲むん?と疑問に思うが、そのお茶が私に提供されることはなかった。
「アオムケ」
言われるままに仰向けになるが、私の経験上では、始めは背中からしかなく、“珍しいな”と思えた。仰向けになって微調整が終わると、顔に蒸らされたタオルが置かれる。口と鼻だけ穴が空いていて、そこから呼吸が出来るようになっていた。熱い。その感想しか出てこなかった。
体にブランケットが被せられる。目はタオルで隠されて老師の行動が見えない為、無言でやられるとそれだけで驚く。老師の次の行動が予測出来ず、心臓のドキドキが早くなる。耳に意識を集中させ、せめて老師の居場所を探ろうと試みるが、全くの無音。さすが老師。
そして老師の手が私に触れる。最初に触れたのは右膝。そしてフェザータッチ。スッ、スッと触れてるか分からない程の柔らかさで膝周りを触り続ける。しばらくそれを繰り返すなか、3480円を無駄にしたと、強い後悔に襲われる。
しかし老師の一言で世界が変わった。
「キミツヨイヨー。ウソダメ」
ふぅ、と老師が溜息をつく。がっかりさせてしまった。だけど私は強くない。嘘もついていない。そんな風に内心で憤慨していると、老師の手が膝から内腿に移動する。手の感触が柔らかい指の腹から、硬い感触に変わる。恐らく第二関節。嫌な予感を感じ、口をしっかり噛む。
「…………!!!!」
悶絶したくなる痛みが私を襲う。内腿に置かれた指の関節が、膝まで抉るように押し込みながら移動する。それを何度も繰り返す。堪らず腰を捩ってしまうが、老師の片方が、私の腰を押し戻し、更に続けていく。気を抜けば叫んでしまう。次は外腿から膝に掛けて。地獄は続いたが、私はなんとか耐えた。
次はふくらはぎをフェザータッチ。この時、私の思考に変化が訪れた。“もっと強くしてほしい”。そう願う自分がいた。むず痒いようなフェザータッチだけでは……物足りなかった。というより、単純に揉んで欲しい。パンパンなのはふくらはぎなんだし。
というか、初手が膝って変だよね?と今更ながら思う。そして老師がふくらはぎに第二関節を置くと、一気に力を込めて、押す。
「……ぉ、ぅ」
油断していた私の口から声が漏れる。痛い。でも、誠に遺憾だけど、気持ちいい。完全に油断した声は恥ずかしく、顔が熱いのはタオルのせいだけではなくなった。
そこからの老師はフェザータッチと関節抉りで、私の体を虐め抜く。パンパンに張っていたふくらはぎに、確かな柔らかさが戻った気がした。
「シタムケ」
言われた通りに下を向くように、顎を引く。
「チガウバカ、シタムケ」
下を向いたよ馬鹿野郎と思う。だけどすぐに意味を理解する。うつ伏せになれということかと、体を反転させる。老師がふぅと溜息をつく。困らせてごめん。
私がうつ伏せになると、背中をフェザータッチで摩る。少しの間、摩ってから、老師はまた溜息をつく。
「キミツヨスギルヨ……」
老師は悲しげに呟いた。私も悲しくなった。すると、老師の手が離れる。うつ伏せでいるから、老師が何をやっているかは分からない。何をするか分からないから、本当に怖くなる。
“カラァン”
そんな甲高い音が聞こえた。嫌な予感しかしないが、老師がそれを私の肩甲骨あたりに押しつける。何かは直感で分かった。
木製バット。またはそれに近しいもの。
肩甲骨に置かれたそれは、しっかりと芯が詰まった木製の長物。そんなものを押し付けられたことは、30年と少しの人生で一度もない。だが、感覚だけでそれと分かるものだった。
「ガンバル、ダイジョブ」
老師の呟きは、誰に向けた言葉なのか私には分からなかった。麻雀の牌がジャラジャラと聞こえた。木製バッドが私の肩に刺さる。
「ぁ……ぅぅ」
あまりの痛さに声が漏れる。心が(やめて!)と叫んでいる。しかし、老師は力を緩めない。押し込まれるたびに、私の口から呻き声が漏れる。もう恥じらいはない。ただ耐えるだけで精一杯だった。
「おお……あぁあ、お」
突如、おじさんの喘ぎ声が耳に届く。すぐ近くから聞こえる。
「ん…んあぁ」
異常に艶がある声。即座にお釣りを取った時の文字が頭に浮かぶ。これはまさか『玉吸い』か。おっさんは『玉吸い』をされているのか。性別売り切れはブラフだったのか……。一見には見抜けない。
「キモチイデショ」
私は激しく動揺した。その声は若かった。その声は語尾が少し上がっていた。その声は……男だった。
お前が『玉吸い』をしたのか。それは、それは高度過ぎるだろう? それとも『玉吸い』とは、私の想像しているような、如何わしいことではないのか。今はこれ以上考えられなかった。
老師のバットが首の横にめり込み、耐えられなかった私の頭が施術台から落とされそうになる。老師の大きい手が優しく、そして力強く私の側頭部を掴み、力づくで押し返す。
「……ィディ」
痛いとは言えなかった。でも意思は伝えたかった。すると老師の手が離れる。伝わったことが嬉しかった。助かったんだと安堵する。バットが再び首に当たる。私は心は恐怖に塗り潰された。
「んあ、っは」
おっさんの喘ぎが、私の声の代わりに室内に響いた。
“カラン”
バッドが床に落ちる音がした。老師の両手が私の後頭部に置かれる。緊張が心臓を早く動かす。痛みに備えて。力を入れてしまう。
だが、老師の手は優しく押し込むだけで、確かな快楽に私を導いた。少しだけ感じる痛みが、良い塩梅のスパイスとなる。とびきり甘い果実に少しの塩を振れば、より甘みを強調させる。老師の按摩はそれだった。これを首にやって欲しかった。
老師の手が下に移動していく。私は期待をしてしまう。だが首を通り過ぎていく。がっかり。老師の手は背中の腰付近で止まり、フェザータッチで円を描くように優しく摩る。どうにも痴漢をされている気がしたけれど、きっと老師は真剣なのだ。そう信じたかった。
フェザータッチが終わり、老師の指が私の腰にめり込み。むず痒く不快だった感触から反転した感覚に、私の身体は耐えきれなかった。
「いっ……つぁ」
私の声が普通に出る。それが老師に届いたのか、一瞬、力が抜かれる。だが本当に一瞬で、すぐに押し込まれていく。ぐっ、ぐっと規則正しいリズムに乗って押し込まれていく。痛みを我慢し、唇を噛み締める。だが、少しだけ感じる気持ち良さ。骨が喜んでいる。そう感じた。
気持ち良さが分かったところで、老師の動きが止まる。そして少し離れて、私の足側に移動した。おもむろに脚が開かれる。そして老師の片方の手が私の腰を掴む。固い棒が背中と腰の間に触れる。一気に押し込まれる。
「ぅぅう」
再び呻き声が漏れる。だが、正直気持ちよかった。確かにほぐれていく。だが、老師の棒がグリグリと捩れを加えられると,単純に痛いだけだった。
「ああぁ、あぁ、っはぁ」
“ジャラジャララ”
おっさんの喘ぎ声と麻雀の音。あまりにも斬新なBGMに私の呻き声が小さく混じる。無性に悲しくなってきた。少しだけ泣いた。この空間に笑顔を作る人はいなかった。
“チチチチ、チチチチ”
小鳥の鳴き声を真似た機械音が鳴る。やっと終わった。
「ふぅ……」
「フゥ……」
老師と私の溜息がシンクロする。最後の最後に気持ちが通じ合った気がした。
「スワッテ」
言われた通りに施術台から足を下ろして、そのまま座る。整体や揉みほぐし屋さんでも、施術後はお決まりのアレがある。肩たたき。これが私は好きだ。
老師の肩たたきは、重かった。一撃にズンっと衝撃が奥に伝わっていく。私の体が揺れる。痛い。施術台から落ちないように、お尻に力を入れて踏ん張る。中国武術には発勁という技術があると聞くが、老師は最後まで老師だった。
「ハイオワリ」
そこで初めて老師の顔を見た。額が汗で濡れている。短い前髪がペチャっと肌にくっついている。それだけでかなり頑張ってくれていたのが伝わった。感動してしまう。
床には大きな麺棒らしき物が置かれていた。バットではなかった。床に置かれる物を押し付けられたことが分かり、むかついてきた。すると老師が困った顔で少し笑う。
「モウヤリタクナイヨ……」
老師は確かにそう言った。“あはは”と私は笑う。私は出禁になった。
店から出て車に乗り込む。いまだに痛む内腿を優しく摩る。鼻を一回すすると、涙が溢れた。ふくらはぎが、すっきりしているのが感覚で分かる。肩凝りが和らぎ、腕が回る。
だけど、割り切れない思いを抱えている。そして思い出す。玉吸いを検索する。想像と違って安心した。だけど、残念と思う気持ちも確かにあった。
やはり煮え切らない。だけどそれが人生。モヤモヤとしたまま帰路についた。
